栗林公園を平面図で考える

栗林公園平面図

平面図を見ながら考えたこと

1. 東門にだけエントランス広場がある。

2. 北湖周辺は直線の路が多い (南湖周辺とは違うパターン)

3. ただの長い直線ではなく、ここでは道を少しずらしている。

4. もう一度書くが直線の路が多い。ここの路は直線的な築山の上の道

5. 長い一直線ではなく、短い直線をつないだ形

6. この辺りは路が複雑

7. 南湖周辺の路は曲線

8. ここの行き止まりは何か (追記:隣の寺への抜け道があったらしい)

9. ここから山へ入れたらしい


栗林公園平面図

・南湖周辺と北湖周辺では路のパターンがちがう。北湖周辺の主な路は直線的で池の形に沿っていない。ただし、ただの直線ではなくXやYのように折れ曲がり、遠くまで見通せないようになっている。・

・北湖から南湖へ向かうZ辺りの路の模様が美しく創作的であると、重森三玲が書いている。

・南湖周辺は起伏があり見え隠れも激しい。ABCDの4か所では道と池の間に築山があり池自体が見えなくなる

 


クランク型の路の折れ曲がり (X地点)。

一旦左に曲がりその後すぐ右に曲がって、結局元の路と並行で少しずれた路になります。

 

このような形になっているのは遠くまで見通せないようにするためでしょう。


栗林公園 1824年

文政七年(1824年)の図を見た感想と注釈

1. 北門からの道は、竹藪を通る直線通路だった

2. 芙蓉沼は多少形が違うが、同じ場所にある

    (池の南端の「石梁」という橋もある。)

3. 群鴨池という名前はまだ無い。形も違う。

4. この時期には結構広い範囲が畑になっている

5. 薬園とみかん園

6. ここに御殿があった

7. 北湖はそんなに変わらない

8. 南湖周辺も基本は変わっていない。

 

図は国立国会図書館所蔵の『栗林分間図』を下敷きにして管理人が描いたものです。


栗林公園 1824年

講武シャの謎

北湖から南湖へ行く途中左側(東)に見える空き地は講武シャ(シャはきへんに射)と言い、弓や馬の稽古をする場所でした。大名庭園に弓場、馬場があるのは普通ですが、大体敷地の端にあるものです。栗林公園ではなぜこの場所にあるのか謎です。


栗林公園平面図
栗林公園と紫雲山

紫雲山という軸

紫雲山はただ庭の隣にあるだけでなく、紫雲山を基準に方向・配置を決めているのかもしれません。

具体的には、まっすぐ紫雲山に向かう路がいくつかあり、また、視点となる場所(部屋や築山)が池を挟んで紫雲山と正対する位置にあります。

 

写真左上: 東門から入る

写真右上: 芙蓉峰から北湖を見る 

写真左下: 初筵観北棟から涵翠池を見る

写真右下: 飛来峰から南個を見る

 

すべて紫雲山が正面に見えています。