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『栗林荘記』を読む:変化への意識

栗林公園を含む回遊式庭園というグループには、複雑な地形、変化する景色、見え隠れといったイメージがある。ではこのようなイメージは江戸時代からあったのだろうか?変化、多様性、見え隠れに関係ありそうな記述を『栗林荘記』から拾ってみる。

 

『栗林荘記』の記載順に従い、まずは北門から入って園内を巡るルートに沿って説明する。

「行くこと百歩にして竹尽き水見ゆ」

北門を入って100歩ほどの所(地図1)の記述。入ってすぐのところ(現在の芝生広場辺り)は竹林だったが、ここで竹林が終わり水面が見えるようになると書かれている(現在は地形が変わっている)。池が見えるかどうかはこの後も繰り返し気にしている。

 

「塘を行くこと五十歩にして塘尽きて地衍す」

塘とは堤のこと。2つの池の間に土手状に細長い陸地があり、50歩ほどで土手が終わって広い陸地になる(地図2)、と書かれている。陸地の狭い広いの変化が意識されている。

 

「園旁ひ湖に縁て南すれば、園杉檜に窮まり、皆合抱喬鬱にして茂林を為す。林の西、塗陿(せば)まり地縮まる」

西湖北部に沿った道(地図3)の様子。暗さ(鬱)と狭さ(陿)について書いている。

 

「岸は危く径は仄き」

栗林公園の南西部の隅、小普陀と呼ばれている場所の裏(地図4)の様子。暗さ(仄)を意識している。

 

 

「東に南湖の南岸に接し其の間支径多し。遊ぶ者をして常に岐に哭せしむ。樹間遐に湖面を瞯(うかが)う」

  順番的に地図5あたりの様子と思うが、現在の地形にうまく当てはまらない。ともかく、「木の間から遠くに湖面が見える」と書かれているので、池が見えるかどうか各価値があることだったのだと思われる。

 

「午と雖も曦容を見ず。昼行くも猶ほ夜行の如し」

南湖の北東岸、「回中」と呼ばれている場所(地図6

 

「其の前に桟して僅かに通行するを桟道と曰ふ」

飛猿巌という岩山の前に張り付くように橋があり「桟道」と呼ばれている(地図7)。通路が細いことが意識されている。

 

「閣南の小山、閣を隔てて湖を屏す」

閣とは留春閣のこと。南湖の北、現在茶店がある辺り(地図8)にあった建物。

留春閣と南湖の間に小山(渚山)があり南湖を隠していたと書かれている。この小山は現存する。

 

「普陀より是に至るまで径咸な紆曲し、湖面隠見常ならず」

「是」とは前記の渚山のこと。小普陀から南湖の南、東、北を通って渚山までのルートについて、路の屈曲と見え隠れがはっきり意識されているとわかる。

 

「山を出づれば乃ち地始めて寛く、白沙稍海浜に似たり」

 渚山を下りたところ(地図9)について。ここでも広さを気にしている。

 

「支経縦横、以て左右すべき者尽くは窮むべからざるなり」

栗林荘全体について、横路が複雑で行き尽くせないと書いてある。

大分大げさに書いてはいるが、路に興味があるのは分かる

 

以上をまとめると、広さの変化、明暗の変化、見え隠れの変化などを意識して書いているように見える。特に池の見え隠れについては「湖面隠見常ならず」とずばり書かれている

最後に資料として写真も載せておく

「塘を行くこと五十歩にして塘尽きて地衍す」の「塘」(地図2)。

分かりにくいが路の向こう側も池になっていて、土手状のところに路がある。

「園旁ひ湖に縁て南すれば、園杉檜に窮まり…」の部分(地図3)。路の左にある茶畑が園(百花園)の跡地。

回中(地図6)

「午と雖も曦容を見ず。昼行くも猶ほ夜行の如し」

桟道(地図7)

「其の前に桟して僅かに通行するを桟道と曰ふ」

留春閣の辺り(地図8)

現在は茶店になっているが、茶店の辺りからその手前の平地にかけて留春閣があった

奥の山が渚山で、その向こうに南湖があるがここからは見えない

「閣南の小山、閣を隔てて湖を屏す」