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『栗林荘記』を読む:庭園の利用

『栗林荘記』には庭園の利用について分かるような記述も少しある。そのような記述を拾ってみた。

 

1. 「亭の南は即ち鹿鳴、結褸地に敷きて、以て座臥すべし」

鹿鳴原(西湖沿いにある芝生の場所)についての記述。亭とは戛玉亭のこと。結縷は結縷草 (コウライシバ) のこと。座ったり横になったりできると書かれている

 

2.「山に隠れて仏祠有り。中に観音の慈容を龕す。祠前は地隘ふして裁かに数人の膜拝を容るべきばかり」

小普陀(園の南西部にある人口の丘)の裏にかつて小さな仏堂があり、観世音菩薩を祀っていた。「仏堂の前は狭く、拝む人は数人しかいられなかった」とある。お堂を建てて終わりではなく、そこで拝んでいたのだろう

 

3.「館舎は星斗尤も壮麗にして楼上に百人を座すべし。観も亦た之を受けて宴すべし。従舎は庖厨称ふ」

星斗とは今でいう掬月亭のこと。百人を収容できると書かれていて、大人数の宴会が行われたのだろう。観は初筵観(掬月亭の棟の1つ)であり、宴会ができると書いてある

「湖より楼南を廻りて西し、入ること十歩可り、上に踏鞠之場有り」

掬月亭の西に蹴鞠をする場所があったという

 

4.「芙蕖花を発するの時軽舸を其の間に舵して以て呉喩越艶を唱えて乃ち遊ぶべし」

芙蓉沼についての記述。

 

5.「舟行して級を拾ひて登降す。恨むらくは地崎嶇として以て席すべからざること。水浜の平沙霜の如し。月夜に琴酒を携へ舟を華表に繋げば、乃ち湖山共に響く。但但夜深くして四顧するに闃寂として二十五絃夜月に弾ずるの思有り。人清怨に堪えずして去る」(天女嶋)

 

6.「勝は尤も舟行に若かず。登りて淹留すべし」(前嶼・後嶼)

 

7.「梅林橘園共に芙蓉池上に在り。秋実口に甘しと雖も百花の目を説ばしむるに若かず」

梅林橘園とも現在茶畑になっている辺り。「秋実口に甘し」と書いているので、橘とは(タチバナではなく)ミカンのことだろう

 

 

総合すると、舟遊び、飲食、音楽といったイメージがある