江戸時代になると広がりを感じさせる場所として(つまり表現のために)庭に芝生が使われるようになります。
また明治以降の改修で芝生広場が増えています。
西湖の東、涵翠池の西にある、芝に覆われた平地です。『栗林荘記』には「以て座臥すべし」、つまり、座ったり寝転んだりできると書かれています(「結縷敷地可以座臥」)。栗林二十詠の中にも、鹿鳴原を詠んだ漢詩があります。
晴日?々鹿 (晴れた日に鳴く鹿)
平原春草新 (平原の春草は新た)
吹笙復鼓瑟 (楽器を奏でて)
可以燕嘉賓 (珍しい客と呑もう)
名前は中国の成語「中原に鹿を追う」を連想させます。連想したのは私です。
奥に見えるのは赤壁と桶樋の滝です。
北門付近にある芝生広場は明治の改修で運動場としてつくられました。気候の良い時には木陰でお弁当を食べたり寝そべったりしている人がいます。
北湖から南湖に向かう途中にある講武シャは、弓や乗馬など武術の鍛錬を行っていた場所です。初期には短期間建物(馬場御殿、弓場御殿)がありましたが、その後露天に的を置いた弓場となり、現在は入れる芝生広場になっています。ここでピクニックをしている人が稀にいます。
商工奨励館の西にある芝生広場は御殿の跡。ここにあった建物は明治時代に売却されました。現在ここの芝生広場は特に利用されていません。
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